皆様お元気でしたでしょうか?11月も中旬になり、クリスマス期間限定商品の受付を開始する時期になりました。
さて、ダイレクトメールをお送りしたお客様には報告済みですが、我が家の後継ぎについて少しお話させていただきます。けむり屋で働き始めて2年弱になりますが、この間いろいろなことがありました。最初のステップとしてポークソーセージを私と同じ味に仕上げることを目標としたのですが、これが難航しました。同じ原材料、同じ製法なのに同じ味にならないのです。私が横について指導しても、どういう訳か同じ味になりません。室温・肉温・湿度など思いつく限りのデータを比較検討しましたが、原因が分かりませんでした。こんな状態が半年ほど続き途方に暮れていたころ、不思議なことに何も変えていないのに少しずつ同じ味に近づいてきたではないですか。今では私自身でも区別できない程になりました。すぐにコピーできると思っていたのでなかなか手ごわいです。
というわけで、我が娘は紆余曲折を経て亀のスピードでじっくり成長しております。今のうちに壊れない程度に壁にぶつかりまくってもらいたいと思っています。現在では既に半数の商品を娘が一人で手掛けていますが、独り立ちはまだまだ先になりそうです。私も老体に鞭打ってしばらくは働き続けます。
ところで、このボヤキコーナーを超筆不精な私から形を変えて娘に引き継ごうと考えています。今のところは検討段階ですが、インスタグラムなるものになるのではないかと考えています。これから繁忙期に入るため少し先になりますがその節はよろしくお願いします。
皆様お元気でしたでしょうか?前回ボヤいてから1年近く過ぎてしまいました。あっという間にと言いますが、私の場合は、あっと言おうと思って口を開けようとしたら1年過ぎてしまったという感じです。
今年は始まりからとんでもない年になりました。能登半島地震に羽田空港の事故。亡くなられた方にお悔みを申し上げるとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。 ここ上富良野も他人事ではありません。 大正15年に大爆発を起こし泥流で大災害を引き起こした十勝岳があります。 今年の3月30日には火山性微動がありわずかな傾斜変動が観察されたそうです。我が家は、当時の泥流が流れたルート上ではないのですが、同規模の爆発があればライフラインの壊滅的なダメージが想像できますのでけむり屋は存続不能になるものと思います。
今のところ、当店周辺では何も変わらない穏やかな日々が続いています。ありがたいことです。
当店は毎年1月全休させて頂いております。理由の一つは設備の大規模なメンテナンスを行うため。もう一つは、12月にご注文が集中するため、休みなく働いた体を休めるためです。 1月は反動で糸の切れた凧状態になってしまいます。(ちなみに頭の中は糸の切れたタコになっています) 社会復帰に1ヶ月を要します。 今年は、設備のメンテナンスとして工房の床を大改修しました。 床はコンクリートでできていますが、100㎏を超える台車が行ったり来たりするため表面が摩耗したり欠けたり、水たまりが出来たり。ここ2,3年で損傷が激しくなってきました。どうしたものか考えていたのですが、YouTubeを見まくって床全体をモルタルでかさ上げして厚膜型のエポキシ樹脂で床塗りすることにしました。(床塗りと床塗装は似て非なるものです、詳しくはYouTubeを御覧下さい)テーブル等の移動させることができるものは全て外に出し、スモーカーや大型の食肉機械は下駄を履かせて1㎝持ち上げ、厚塗り用のミックスモルタルを使い床全体を8㎜ほど高くしました。モルタルの乾燥に2週間10℃以上を保たなくてはならないので、真冬の北海道では温度管理が大変でした。あとは塗装です。一般的な床用の塗料は、刷毛やローラーで塗ると思いますが、溶剤が抜けて乾燥するとその厚さは、0.0?㎜くらいだそうです。これは、埃等が出るのを抑えるのが主な目的だそうで、重量物が通ったり、頻繁に人通りがあるところには適さないものです。当店では厚塗りのエポキシ樹脂系の塗料を使いました。ドロドロとした塗料をコテで塗り広げる感じです。厚みは、2.0㎜以上になるようにしました。
出来上がりですが、一言でいうと「素人はやめた方が良いんでないかい」です。 まず、モルタルです。何度かモルタルで塀の補修とかしたことがあるのですが、失敗続きでした。反省を踏まえ今回は十分に準備したつもりでしたが、完敗です。左官屋さんのお仕事はその道のプロに任せた方が無難です。ちょっとDIYをかじった程度ではどうもこうもありません。工房の床も凸凹になっちまいました。そもそも、還暦過ぎでもうすぐ年金が貰えるような齢の素人がやるものではありません、腰が痛いです。 床塗りは、これまたコテで塗り広げるので中腰です。モルタルよりはマシですが、腰が爆発します。
全くの失敗作ですが、強度は抜群です。これで安心してソーセージが作れます。
費用は、資材だけで20万弱でした。プロに任せると、想像ですが、左官屋さんと床塗りは別々の業者にお願いすることになるようなので、3~5倍はするのでないでしょうか?
結論としては、お金がある人と綺麗に仕上げたい人は、迷わず業者にお任せするべき。 私のようにお金のない人と腰が爆発してもよい人は、DIYに挑戦してみるとよいでしょう。
追記) 上記の文章に技術的な誤りまた稚拙な表現、誤字があっても責任は持ちません。なお、DIYすると腰が自動的に爆発します。
左から
・床をサンダーで研磨し古い塗装を取除いた状態
・プライマーを塗った状態
・モルタルを8㎜厚で施工した状態
・床塗り2㎜厚で施工した状態 完成
大変長らくご無沙汰しておりました。
筆不精というのでしょうか、沢山の方々がSNSなるもので毎日ように情報発信されていることにビックリ仰天しております。
私のように仕事と趣味の境界がはっきりしない生活をしていると、日々雑用であっという間に過ぎさってしまいます。DIYネタなど、山ほどありますが、自分でやる作業を他人様に提供するほどの余裕はなかなか見つけられないのが実情です。 恐縮ではございますが、突然「ボヤキ」だすと思いますので、その節はお付き合いいただければ幸いです。
とはいえ、この生活は自ら始めたある意味理想のスタイルなので後悔はまったくなくこれからもこんな感じで生きていければと思っています。
22年1月からの出来事をスマホに残されている写真を元にお話しさせて頂こうと思います。
1. 21年1月 先にお伝えした通りサイレントカッターという食肉加工機械が2020年末に壊れました。 それから1週間ほどたった2021年1月、自宅のトイレが壊れました。便座からの水漏れですが、新築時に取りつけたトイレが一体型というもので便座のみの交換が出来ないものでした。選択支は2つ。一つは同じく一体型のトイレに交換。二つ目は新品のセパレート型に交換です。 どちらにしても古いトイレは全撤去ですので、今後同様の故障があっても便座だけの交換で済むようにセパレート型を選択しました。年始早々の作業がトイレ交換とはなかなかな年になる予感がしたのを覚えています。ネットで注文して、一人で5時間程かけての作業でした。トイレの設置は初めてでしたのでYouTubeを見まくりました。
2. 21年6月は、修繕3兄弟でした。 ①自宅玄関のタイルが剝がれていたのを補修しました。二三年前から剝がれ始まったのですが見ないふりをしていたらあまりにも見すぼらしくなったので、時間を見つけては少しずつ張り直しました。 ②自宅の土留めのコンクリート塀が壊れてきたのでモルタルを流し込んで補修しました。 ③カフェのテラス床が弱っていたので営業開始前までになんとか張り直しました。
5. 2022年1月 愛猫の具合がとても悪くなり正月早々ペット病院に駆け込みました。腎臓と胆嚢に問題があるみたいで、自宅で毎日2回点滴(皮下注射)をすることになりました。余命を先生に尋ねると、「同様の症状で1年ももった猫ちゃんもいましたよー。」とのことでしたので、長くても1年と覚悟しました。残された時間だけでも好きなことをさせてあげようと思い、病院食ではなく、お高めの餌にしたり、家猫なんですがだっこして外を軽く散歩したり、一緒に寝たりすることにしました。その結果、今23年5月ですけどすこぶる元気になり、点滴も必要なくなりました。結果、やたら甘えん坊の猫が出来上がってしまいました。どうゆうこと?
6.同じく2022年1月 自宅の給湯ボイラーが壊れました。すぐに設備屋さんに来てもらいましたが、交換が必要とのこと。新型コロナ感染症の影響で給湯器の手配がつかないとのことで6ヶ月待ち、あるいはそれ以降になるかもといわれてしまいました。半年も風呂に入れないのはちょっとなーと思い、代案を検討しまくり、結果として24時間風呂を設置することにしました。水から40℃位に上がるまでは20時間ほどかかりますが一度沸いてしまえば電気の力で一定温度をキープしてくれます。 一週間に一度水の入れ替えが必要なので、電気代が心配でしたが背に腹は代えられない状況でした。これも、ネットで注文して簡易設置に1日、本設置までには設置台も自作したので10日間くらいかかりました。ユニットバスに電源ケーブルの穴を開けるのにはなかなか勇気が必要でした。
さてさて、ここから真打登場です。けむり屋は今まで妻と二人だけで切盛りして来ましたが、娘が加わることとになりました。高校卒業のときに後を継ぎたいと言ってきたのですが、極小ソーセージ屋とはいえ一応経営ということもあります。商売という観点からすると田舎生まれ田舎育ちではあまりにも世間が狭い。もう少し人生経験が必要ということで、大学を含め東京へしばらく行かせることにしました。そのうち気が変わるかもとか思っていたのですが、その気は全く示さず、就職もちゃっかり食肉関係の会社に潜り込んだりして準備を進めてきたようです。今年1月末にUターンして、2月から見習いとして働いています。これから、皆様の御対応をさせて頂くこともあろうかと思います。何卒、よろしくお願いいたします。 以下は、本人の弁になります。どうかご一読下さい。
後継ぎからのご挨拶
日頃よりけむり屋をご愛好くださる皆様、はじめまして。
絵のような丘で生まれ、絵(かい)と名付けられました。けむり屋の娘です。
私は幼少より、深夜から自宅横の工場に向かう父、家事育児に加え庭や畑など幅広い仕事をこなす母、そしてこの山奥の小さなソーセージ屋へと足を延ばしてくださるお客様を見て育ちました。私が外で遊んでいる時にやさしく話かけてくださった方、母のホットドック屋さんで“お手伝い”をする私を優しく見守ってくださった方、私が家を離れた後でも『娘さんは元気?』とたびたび声をかけてくれた方もいらっしゃると聞いております。
まずはそんな暖かな環境で育ったことを誇りに思い、皆様に心から御礼申し上げます。
話は変わりまして実はけむり屋の娘、15歳の時すでに上富良野を離れ、道内の高校で寮生活をしておりました。そこでは今でも恩師と慕える素晴らしい先生方と出会い、大切な友人達と出会い、後輩にも恵まれ幸せに青春の花を咲かせていたのですがやはり進路という問題。さぁここからどうしようという話です。
正直に申しますと、その頃から私には会社勤めが向かないであろうという殺伐とした気持ちがありました。どうにも幼少から属するということが苦手で、これから一生何かの組織に身を据えて生きるということが、どうしても想像できませんでした。そんなことではこの先人生が続かないとすら考えていたほどです。
私の幸せって何だろう、どうしたら私は幸せになれるんだろうと若輩ながら思考を巡らせていたところそれは急に、パチンッと目の前に現れました。
『けむり屋があるじゃないか』
齢17歳の私、ずいぶんと大きく舵を切ったものです。
高校卒業後そのままけむり屋に入るということも可能でしたが、まずは視野を広げようと父からの勧めもあり東京へ移りました。大学で経営学を勉強する傍ら、どうやら学ぶことが好きだったらしい私はちゃっかり興味のあった哲学や宗教学にも手を出し、ダブルスクールもびっくり4つの学校を毎日ドタバタ駆け回っていました。選択の自由をくれた両親には頭が上がりません。
大学卒業後は食肉卸の会社に入社し、けむり屋で活かせる知識と実践の習得、そしてなにより会社に属するという社会勉強をさせていただきました。先述した通りやはり会社勤めは苦手だなぁと感じた私でしたが、けむり屋に訪れるお客様の中にけむり屋の暮らしを“憧れ”とする人たちがいること、そして父自身も田舎に憧れシステムエンジニアから転身した身ですので、やはりここは世間を知らずしてけむり屋を継ぐことはできないと必死に食らいつきました。
月日が経ち2023年2月。『子たちが毎日食べても安心な美味しいソーセージを造りたい』そんなけむり屋の下で育った娘がけむり屋に戻って参りました。まずは父の築いてきたこのお店、この味を学び、将来は子どもたちそしてけむり屋を愛してくださる皆様に毎日食べても安心な美味しいソーセージをお届けできるよう注力していく所存です。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
二代目けむり屋の店主として、一刻も早く尽力できるよう日々精進して参ります。
今後とも変わらぬご愛好のほど、何卒お願い申し上げます。
拙い文章ではありましたが、皆様へのご挨拶と代えさせていただきます。
けむり屋の娘 絵
6月中旬~8月の